海軍人造り教育

 先日実家に行った折り、タイトルの本があったので自宅に持ち帰って今読んでいる。といっても社会人になる前に一度読んだものなので、再度の読破になる。本自体は随分古く、父が読むために買ってきたものらしい。

 改めて読んでみると、まだ世間を知らない当時の私が読んだ時に感じることのなかったものを覚えた。「海軍士官たる前に紳士たれ」をモットーに旧帝国海軍士官を育てた海軍兵学校の教育は、あの忌わしい戦争終結後60年たった今でも通用するものが多々ある。まさに自分のバイブルになると思いながら読んでいる最中である。

 一番感じたのは、教官の訓話である。推察するに恐らく30歳代中盤から40歳代前半にかけての人材が教官として兵学校で後進の教育に努めていたようだが、彼等は人間として素晴らしい。部下の統率のためには何が必要か、あるいは自己を磨くためには勉強が必要、また与えられた任務を「運が悪い」と思えば人間それ以降の成長はない、等を人生の半ばにして悟っている。当たり前といえばそれまでだが、またこれらを表現する言葉の使い方も素晴らしい。精神的成長をしていない私にとっては本当に恥ずかしい思いだが、今の同年代の人間でここまではっきりと言える「何か」を持っている人間はいるのだろうか?とふと疑問に思ってしまった。

 いずれにしても、この本の中には私が今後生きていく上でのヒントが隠されているような気がする。私の本の読み方はかなり偏っているのだが、今回ばかりは「飛行機などの無駄な知識」ではなく、人生の中で必ず役に立つものがあると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

旅亭 半水盧

 久しぶりに書く記事である。先週末両親の結婚40周年のお祝いで雲仙にある旅亭半水盧を利用した。すばらしい!の一言で済むサービス内容だった。とにかく料理、部屋、ソフト面のサービス、全て私は満点をつけたい。過去旅館にはあまり泊まったことがなくホテルが多い私だが、初めて最高のサービスを日本旅館で受けることができた。海外のホテルではシンガポールのラッフルズホテルが最高だが、国内ではこの半水盧を今後挙げたい。

 雲仙は5日(月)に初冠雪だったようだ。確かに4日(日)も寒かったことを考えると頷ける話だ。3日(土)は天気もよく暖かい日だったが、さすがは標高700mに位置する雲仙、天気も変わりやすいようである。ちなみにこの半水盧、福岡と熊本からの利用者が多いそうだが、最近は関西や北海道からの利用もあるとのことだ。あのサービスを受ければ少なくとも年一回は忘れていた自分を取り戻しに行きたいと思える旅館である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

デジカメ

 早いものでもう師走だ。平成17年も間もなく終わるが、激動の年であったか?と問われればそうかも知れないし、そうでないかも知れない。それは色々な出来事を他人に話しても、個々人で受け取り方が違うと思うからである。来年はどんな年になるのかは全くわからないが、健康にだけは留意したいと思っている。

 この時期になると年賀状の段取を始めないといけないが、昨今は写真入りで皆さん作成されているのが多いと思う。それに威力を発揮するのがデジカメだと思うが、我が家にはそれがない。時代遅れも甚だしいが、一眼レフの方がはるかに画像が綺麗だからなかなか購買意欲が湧かない。こんなことでいいのだろうか…。今年の年賀状もプリントゴッコで手書きのものになりそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2年かけてMBA取得を目標に

 長期間にわたり更新していなかった。というのも、昨年秋ごろから「英語とは別に自己のキャリアアップを図るためにはどうすればいいか?」を悩んでいたからである。そして最終的に「MBA取得」を目標にした。経営マネジメントについては大学でも勉強したことがあり興味を以前から持っていたが、キャリアアップを目指すなら興味のある経営学の分野をもっと勉強してみようと考えた延長線上にMBAがあった、というのが最終動機である。

 いろいろ調べてみると、ネットの普及で最近は通学せずともMBAの取得ができるプログラムがあるのには驚いた。また今の仕事を辞めずに週末にのみ講義を受けるスタイルのものもある。いろいろ考えたが、週末に通学ぜずとも講義を受けることができるプログラムに出願しようと決めたのが11月末だった。

 出願するにあたり、必要書類の準備が大変だった。最終学歴の卒業証明書や成績証明書の取寄せのみならず、推薦人が勤務先の上司と大学の恩師と2名必要なことには驚いた。幸い恩師とは音信普通になっておらず、大学を訪ね趣旨を説明すると快く引き受けてくれた。私の学生時代の成績を知っている恩師は戸惑ったと思うが…。結局出願書類が揃ったのは12月も下旬。大急ぎで書類を送り選考面接を年内に受け、先週末に選考通過通知が届いた。嬉しさと同時に身の引き締まる思いもあるが、2年間頑張れるかどうか不安の方が今は強い。

 しかし、これは自分が選んだ道である。やり抜くしかない。またそれなりの出費もあるので危険も伴うが、もし2年後に笑うことができれば自己革新には必ず繋がる。それを夢見て頑張ろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お茶とコーヒーほか

 会社にいると、どうしても飲物を飲みながら業務処理ということになる。最近飲んでいるのはお茶ばかりで、コーヒーは殆ど飲まなくなった。元来コーヒーはあまり好きな方でないので当たり前と言えばそれまでだが、やはり日本人にはお茶である。これも偏見か??

 英語の勉強はTOEIC目標点数を超えたので、気が抜けてしまっている。本来はたかが500点なんでもっと勉強すべきなのだが、あの2時間の長丁場の試験は本当に苦痛である。600点の大台には乗せたい気持ちもあるが、4月からは新たは勉強も始まるので恐らく無理だと思っている。ここまで伸びた能力を落とさないようにするのが精一杯だろう。とにかく、自己革新のために2年かけて無理なく頑張る、これが今の自分に自らが与えた命題だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

うつ病体験の告白

 ここ最近体調がすぐれず全く更新していなかった。それは私が今タイトルとおりの病気で苦しんでいるからだ。今回は節目節目で綴っていた記録を以下に出したいと思う。

「うつ」は、そんな病気に無縁だ、と思っている人にも突然やってきます。かなりメンタル面で強い方(例えば人を蹴散らしてまで上に上がりたい上昇志向の人、あるいは社内で人を精神的に潰しても何とも思わない人)は例外ですが、殆どの人は病気に陥る危険があると思います。

 それでは、私が「うつ」症状になった原因からお話しします。私は会社員で、事務職として現在も細々ながら働いています。事の発端は現場の事務をしていた平成15年の夏頃から仕事上でのトラブル、それも自分のミスではなく、以前から問題になっていた顧客とのトラブルが表面化したことから始まります。当時私は沖縄勤務、業務上自分で判断できない件は福岡の支社に判断を仰ぐ体制となっていました。このトラブル解決にあたり、私の当時の福岡の直属上司Aは、自分が自ら営業担当から聞き入れた情報や、自らが調べた情報による見解のみを押し付け、現地で状況が変化していることを報告する私の意見は全く吸い上げようとせず、私は次第に「わけのわからないこと(要は私の能力不足でついていけないこと)」を言い始める頭の回転の速いAに恐怖感さえ覚えるようになっていました。

このトラブルについては、顧客の努力もあり何とか解決できる見通しが立ち、私としてもようやく一息つける状況となりました。その年の秋、私は福岡に異動、業務内容は現場の事務ということで従前と変わりませんでした。私の勤務先の事務職は現場によって担当を決めその殆どを兼務する形をとっていますが、ここでAは通常の人間では到底担当できないような数の現場を私に担当させたのです。人事権を持っているのは本来部長ですが、部長は下からの説明を聞くだけでよほどのことがない限り異動案は否定しません。この時も恐らくそうだったのではないかと思います。一応私の下に社員はいたのですが、その社員は入社2年目の若手、また現場の「げ」の字もわからないような社員で、膨大な数の処理不能の現場の数に加え、私はこの若手社員の教育まで担当させられたのです。

この頃から、物事、特に業務に対する判断が特に鈍るようになり、業務自体が手につかなくなるような状況になっていきました。業務遂行が「苦痛」という考えが目立ち始め、部下の面倒を見ることもあまりしなくなり、連日夜遅くまで残業しないと処理できない業務自体も拒絶、仕事があれば短時間集中で何とか仕上げようとしていた数年前の私の状況と明らかに異なってきたことは自分の中でも少しずつ認識し始めていました。夜も熟睡できなくなり、かならず夜中に起きる「中途覚醒」が出始めたのもこの頃からです。

そんな中、年が明けた平成16年早々、ある現場でプロジェクトに関する社内トラブルが起こりました。その業務に関して私は当時営業担当と打合せを行いながらきちんと進めており、「支社長にも見せるから、早く資料作って」とも言われていました。資料自体は年末に完成し営業担当に渡したのですが、実際はその内容が支社長の耳に入っておらず、内容の不味さやその段取方法の悪さを支社長(勤務先の役員を兼ねています)から凄まじい勢いで叱責されたのです。私は営業担当とともに支店長室に呼びつけられ、「一体誰がこの資料作成の指示をしたんだ!」と問われ、元々私は他人への責任転嫁ができない性格で黙っていると、「何故お前は黙っている!」と湯呑みまで投げつけられそうな状況になりました。皆さん、その状況を想像してください。そして考えてみてください。普通の人間なら、心ある人間ならば同じ場所にいた営業担当が自ら手を挙げ「私が指示した」と言うはずです。ところが、そんなことはありませんでした。濡れ衣を着せられたのです。この後、支社内は騒然となり、「私には任せられない」ということで、当時直属上司Aの部下であり、現在は直属上司となったBにフォローの指示が出されました。このBもA同様の性格の人間で、いやA以上に気性の荒い性格で、私のフォローどころか恐怖感を植付ける人間でした。それからプロジェクトが終わるまでの約2週間、Bからは毎日罵倒(バカ、ふざけるな、何をやっているんだ!)や叱責を受けつづけましたが、何とかプロジェクト自体は終わらせることができました。この間、私の中では「プロジェクト終了後休職できないか」と普段読んだこともない就業規則を読み返すまでの深刻な状況になっていました。このBに対しての外傷体験は今も治ることがありません。

この後、私の状況は一進一退を繰り返していました。そんな中、2月中旬Bより支社に呼ばれ、私の業務に対する姿勢に対し別室で長時間にわたり叱責され続け、ここでようやく最後の張り詰めていた一本が切れてしまい、ありのままの現在の状況を告白しました。告白内容には沖縄勤務時代、既にAとの関係で精神的に疲弊しきっており那覇の心療内科で「うつ病」と診断されていたことも含んでいました。事ここに至るまで私は「何とかなるだろう」と「うつ病」を甘く見ていたのです。福岡で心療内科に通い始めたのは、ちょうどこの出来事の後からです。平成16年の2月からです。当然医師の診断は「うつ病」で、睡眠関係の薬と抑うつ薬の処方を受け始めました。ところが、それから約一ヶ月後、めまいが止まらなくなったのです。それは苦しいものでした。あの苦しみは実際に体験した人間にしかわかりません。それが薬の副作用なのか、あるいは精神的なものなのかは今でも不明です。これがきっかけでようやく長期休暇(1ヵ月半)を取ることを会社との相談で決めました。平成16年3月のことです。もう出社できる状況ではありませんでした。

一ヵ月半の間はなかなかめまいがとれず苦労しましたが、ようやくめまいもとれ、5月より復職しました。部署は以前と変わり現場事務ではなく、支社内の庶務の仕事をやることになりましたが、ここで私の「うつ」に対する認識不足が露呈しました。このわずかの休職で完全に身体は復調していると思っていたのです。もちろん投薬は受けつづけ、通院もしてはいました。そして庶務の仕事をやる中で、自分も復調しているとの勘違い、そして私の心の未熟さ、また庶務の上司の指示不徹底さなどから、お互いのボタンの掛け違いが段々表面化してきました。最後は業務の進め方で庶務の上司と口論にまでなってしまいました。それも一方的に私がまくし立てた状況、今冷静に考えると何とバカなことをしてしまったか、と思える行動でした。しかし、もう人間関係は元には戻りません。自分で自分を追い込み、そしてどうやっていけばいいのかわからない状況となってしまいました。平成17年2月のことです。進退窮まって医師に相談すると「再度会社を休み、気持ちの整理をした方がいい」とのことでした。それを会社に納得させるのには半日が必要でしたが、再度の休暇でようやく私は「真の心の休養」を取ることができたのです。

この「心の休養」で私が悟った「うつ病」に対する対処法は、

     自分の能力を見極め、仕事は決して自分の能力以上のことはしない。そしてそれをきちんと会社(上司)に伝えること

     自分自身が自信を取り戻すまでは、決して無理はしない。そのためには、自分が「うつ病」であることを周囲に明かし協力を求めることも考えてみること

     元の状態に戻るまでには時間がかかる。それまでは自分が会社でどんな位置(立場や仕事の内容)にいようとも、割り切って受け入れる(今までの自分なら出来たというプライドは捨てる)

     社内で人間関係が上手くいかなかった場合、極力その人との交わりを避けること

今の厳しい時代、会社も人も余裕のない世界で生きています。特に私の勤務先の場合はそうです。社員が不足しているのは明らかです。それに目を向けようとしない、それでいて「仕事の効率化」ばかりを叫ぶ所属部署幹部等々。このような会社内で勤務するためにはかなりの精神力を必要とします。それだけの精神力が持てない場合は、自分からいろんなことを放棄することも必要だと思います。「うつ病」になっては遅いと思います。早くシグナルを出すべきです。しかし、会社で働いている場合は当然能力主義で賃金が決まりますから賃金も下がります。それを受け入れられるか否か、要は自分自身で今の状況と過去の実績や経験を比較し「病気の今の自分には無理だ」と割り切れるかどうかが大きなカギだと思います。これは私が約2年かかってようやくたどり着いた自分自身の結論ですが、この考え方が同じことで悩んでいる方々全員に適しているとは思いません。人間顔が違うように考え方も皆違いますから…

(平成17年5月 記)

 会社に復帰しまもなく1年になりますが、その間は決して平坦な道ではありませんでした。再度の異動で私の直属上司となったBは私を会社のお荷物を考えており、さすがに私には直接言わないものの、その態度等にははっきり表れていました。直属上司とは言いながら、Bが私に直接指揮命令を下すことが少なかったことがまだ恵まれていたと思います。とは言え特にB子飼いの部下に電話で「あいつ(私のこと)はこの会社ではもう先はない」ということを言っていたのを聞いた時は、焦らずとも何とか回復したいと思っていた自分がバカらしく思え、次第に自分を見失ってしまいました。その後も何とか出社していましたが、気持ちの整理がどうしてもつかなくなり復帰して7ヶ月後の昨年11月、Bとの関係も含め全てを現在の部長に打ち明け、状況を理解してくれた部長はBと私が直接交わることがないように配慮をした業務分担にするようBに命じ変更させました。Bはそれをどのように思ったかはわかりませんが、それはどうでもいいことです。とにかくBとは言葉も交わせないほどの外傷体験が残ったままです。これを克服する手立ては心理士にも聞きましたが、状況が好転しない限り、要は当事者のどちらかがその場を去らない限りどうにもならないとのことでした。とにかく今はBが早く東京に戻ることを祈るだけです。

                                    (平成18年2月 記) 

 来月からは自分の新たな可能性を目指し、ビジネススクールに通うようにした。新たな方々との交流が始まることに正直言って不安はあるが、病気からの脱出のきっかけが掴めればと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

JALワンワールド加盟目前

 一年近く更新をしていなかった。というか、更新する気力がなかったというのが正解だと思う。その理由はさておき、JALのワンワールド加盟が目前に迫っている。今回はその件について書きたいと思う。

 成田国際空港も航空会社のターミナル移動が頻繁になっている。昨年6月にANAがリニューアル成った第1ターミナルに移転、第2ターミナルの空いたスペースにワンワールド加盟各社が移動する形である。先日はキャセイパシフィック航空が移転完了、新ラウンジも供用開始したようだ。

 あとは、マイレージ会員のワンワールド内での処遇だろう。特に、いわゆる上級会員の資格保持者は気になるところかもしれないが、これは正式発表を待つしか手はない。アライアンス内でどのような調整が行われているかは勿論私が知る余地もないが、どうなるのか、またどうやって意見調整しているのか興味がある。

 とにかく、JALはANAと比較し、どうしても劣勢にある。今はこれをどこまで互角に競争できる位置まで引き上げるか、そして競争を持続し切磋琢磨することにより、航空業界全体の状況が良くなるようにする、これがJALのみならず、好調といわれるANAにも課せられた使命だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

A380のつまずき

 既にA380は初飛行に成功、各種試験を実施中だが、製造工程の混乱で2回ほど納入延期を発注各社に要請した。そのためか、FedExは発注キャンセルを行ったそうだ。

 今回の一連のトラブルで、エアバスはA380の損益分岐を200機から400機程度に引き上げたそうだが、このような超大型機が果たしてここまで受注できるか?という疑問は残る。とはいえ、40年近くも売れまくったB747でさえ、最初は受注があまり芳しくなかったことを考えると、A380の就航後、先んじて導入した会社が利用者をごそっと奪い、慌てて他社もA380の導入に踏み切る…、これはB747と同じ構図である。

 ここ数年エアバスはボーイングを凌ぐ勢いで成長してきた。A320の成功、A330とA340のヒット、これはライバルのボーイングとて認めざるを得ないだろう。ここからが問題である。エアバスはこの成功に有頂天になっていなかったか?それが今回のA380納入延期騒動に凝縮されている気がしてならない。会社自体に「ボーイング何するものぞ」の驕りがなかったか?それが成長を逆に阻害するA380のつまずきに繋がったのではないか、という気がしてならない。

 昨年はボーイングが受注数でエアバスから首位を奪還した。B787とB737NGの貢献がかなりあったようだが、それに加え燃料費の高騰がボーイングに追い風だったかも知れない。商品構成も双発主体、4発は最早設計の古いB747だけである。B747-8として最新技術を盛り込み開発は決定しているが…。

 エアバスはA340登場当初、「ETOPSに制限されない4発機は双発機より優位性がある」と強調し、実際にA340は-300型まで受注は順調だった。ところが状況は変わり、現在の環境は双発優位である。それを証明するかのようにA340の受注は低迷している。今後B787の対抗機種であるA350XWBの開発も決定したが、A380のつまずきによる資金負担もかなり大きいだろう。それに加えA350XWBの開発費用の負担に耐え切れるか、今後エアバスは正念場を迎えると思う。

 蛇足ながら、エミレーツはA380を43機も発注しているそうだ。ドバイの急成長ぶりは理解できるが、一体どんな路線に投入するのだろうか??

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ワンワールド加盟に伴うJGC

 今朝、JALのホームページを開くと、JMBプログラムのワンワールドに対する扱いが正式発表になっていた。焦点はやはり、いわゆる「普通のJGC会員の扱い」をどうするか?であったと思うが、今回の正式発表によると、「JGC会員が一定の規定を満たすとワンワールドサファイアステータスを与え、それ以外はルビーステータスを与える」ことが発表されている。

 この扱いについて、個人的には評価したい。まずはJGC会員全員にワンワールドサファイアステータスを与えなかったこと、また、このステータスを獲得するためのハードルを低めに設定していることである。前者については、当然ありえないと考えてはいたが、ルビーステータスをJGC会員全員に与えることで、今後出るであろう不満を押さえる効果が多少は期待できるだろう。また後者はワンワールドサファイアステータスへの条件を通常より緩和することで、JGC会員全体の顔を立てることができている。

 当然、評価する利用者は様々な評価をするので、これを「甘い」、あるいは「失望した」と評価する向きもあるだろう。しかし、永年会員制度が現時点で存続するJALとしての最大公約数は今回発表されたものだと私は思っている。ただ、JGC会員の中には会社に対し過大な要求をする会員もいるらしいと聞く。願わくば、そのような会員が、ワンワールド加盟他社で同じ行為を行わないことを希望したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

英語学習の転換点

 もう英語の勉強をはじめてかれこれ3年どころか4年が経過したかも知れない。その間学校に通い、単語を覚え、ヒアリング能力の向上のためいろんな策を試した。その結果、ようやく何とか。。というレベルまでは向上できたと思う。まぁ自己満足の世界、たかがTOEIC500点台のレベルだが、ここに到達するのが最初の目標だった。

 最近、MBA取得の勉強との両立も難しくなってきたため、また、このまま学校に通い続け英語力が向上するのか?という疑問もあり、思い切って学校をやめることにした。とはいえ、学習を続けるため、別途インターネットを介して学習できる方式を、今まで通っていた学校とは違う学校が運営しているところと契約した。1回わずか20分ではあるが、外国人と話せる時間を持ち、会話力の向上に役立てたいと考えている。

 私の知人に、海外を飛びまわっている方がいるのだが、その知人に言わせると、英語での外国人との会話は「場数・経験」だそうである。勿論私の現在の語彙力ではまだまだ不足しているのは理解しているが、「経験」を積むためには、今回申し込んだネットを介し、外国人とサシで話せる機会を有効に使おうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

«ワンワールド加盟に伴うJGC