ここ最近体調がすぐれず全く更新していなかった。それは私が今タイトルとおりの病気で苦しんでいるからだ。今回は節目節目で綴っていた記録を以下に出したいと思う。
「うつ」は、そんな病気に無縁だ、と思っている人にも突然やってきます。かなりメンタル面で強い方(例えば人を蹴散らしてまで上に上がりたい上昇志向の人、あるいは社内で人を精神的に潰しても何とも思わない人)は例外ですが、殆どの人は病気に陥る危険があると思います。
それでは、私が「うつ」症状になった原因からお話しします。私は会社員で、事務職として現在も細々ながら働いています。事の発端は現場の事務をしていた平成15年の夏頃から仕事上でのトラブル、それも自分のミスではなく、以前から問題になっていた顧客とのトラブルが表面化したことから始まります。当時私は沖縄勤務、業務上自分で判断できない件は福岡の支社に判断を仰ぐ体制となっていました。このトラブル解決にあたり、私の当時の福岡の直属上司Aは、自分が自ら営業担当から聞き入れた情報や、自らが調べた情報による見解のみを押し付け、現地で状況が変化していることを報告する私の意見は全く吸い上げようとせず、私は次第に「わけのわからないこと(要は私の能力不足でついていけないこと)」を言い始める頭の回転の速いAに恐怖感さえ覚えるようになっていました。
このトラブルについては、顧客の努力もあり何とか解決できる見通しが立ち、私としてもようやく一息つける状況となりました。その年の秋、私は福岡に異動、業務内容は現場の事務ということで従前と変わりませんでした。私の勤務先の事務職は現場によって担当を決めその殆どを兼務する形をとっていますが、ここでAは通常の人間では到底担当できないような数の現場を私に担当させたのです。人事権を持っているのは本来部長ですが、部長は下からの説明を聞くだけでよほどのことがない限り異動案は否定しません。この時も恐らくそうだったのではないかと思います。一応私の下に社員はいたのですが、その社員は入社2年目の若手、また現場の「げ」の字もわからないような社員で、膨大な数の処理不能の現場の数に加え、私はこの若手社員の教育まで担当させられたのです。
この頃から、物事、特に業務に対する判断が特に鈍るようになり、業務自体が手につかなくなるような状況になっていきました。業務遂行が「苦痛」という考えが目立ち始め、部下の面倒を見ることもあまりしなくなり、連日夜遅くまで残業しないと処理できない業務自体も拒絶、仕事があれば短時間集中で何とか仕上げようとしていた数年前の私の状況と明らかに異なってきたことは自分の中でも少しずつ認識し始めていました。夜も熟睡できなくなり、かならず夜中に起きる「中途覚醒」が出始めたのもこの頃からです。
そんな中、年が明けた平成16年早々、ある現場でプロジェクトに関する社内トラブルが起こりました。その業務に関して私は当時営業担当と打合せを行いながらきちんと進めており、「支社長にも見せるから、早く資料作って」とも言われていました。資料自体は年末に完成し営業担当に渡したのですが、実際はその内容が支社長の耳に入っておらず、内容の不味さやその段取方法の悪さを支社長(勤務先の役員を兼ねています)から凄まじい勢いで叱責されたのです。私は営業担当とともに支店長室に呼びつけられ、「一体誰がこの資料作成の指示をしたんだ!」と問われ、元々私は他人への責任転嫁ができない性格で黙っていると、「何故お前は黙っている!」と湯呑みまで投げつけられそうな状況になりました。皆さん、その状況を想像してください。そして考えてみてください。普通の人間なら、心ある人間ならば同じ場所にいた営業担当が自ら手を挙げ「私が指示した」と言うはずです。ところが、そんなことはありませんでした。濡れ衣を着せられたのです。この後、支社内は騒然となり、「私には任せられない」ということで、当時直属上司Aの部下であり、現在は直属上司となったBにフォローの指示が出されました。このBもA同様の性格の人間で、いやA以上に気性の荒い性格で、私のフォローどころか恐怖感を植付ける人間でした。それからプロジェクトが終わるまでの約2週間、Bからは毎日罵倒(バカ、ふざけるな、何をやっているんだ!)や叱責を受けつづけましたが、何とかプロジェクト自体は終わらせることができました。この間、私の中では「プロジェクト終了後休職できないか」と普段読んだこともない就業規則を読み返すまでの深刻な状況になっていました。このBに対しての外傷体験は今も治ることがありません。
この後、私の状況は一進一退を繰り返していました。そんな中、2月中旬Bより支社に呼ばれ、私の業務に対する姿勢に対し別室で長時間にわたり叱責され続け、ここでようやく最後の張り詰めていた一本が切れてしまい、ありのままの現在の状況を告白しました。告白内容には沖縄勤務時代、既にAとの関係で精神的に疲弊しきっており那覇の心療内科で「うつ病」と診断されていたことも含んでいました。事ここに至るまで私は「何とかなるだろう」と「うつ病」を甘く見ていたのです。福岡で心療内科に通い始めたのは、ちょうどこの出来事の後からです。平成16年の2月からです。当然医師の診断は「うつ病」で、睡眠関係の薬と抑うつ薬の処方を受け始めました。ところが、それから約一ヶ月後、めまいが止まらなくなったのです。それは苦しいものでした。あの苦しみは実際に体験した人間にしかわかりません。それが薬の副作用なのか、あるいは精神的なものなのかは今でも不明です。これがきっかけでようやく長期休暇(1ヵ月半)を取ることを会社との相談で決めました。平成16年3月のことです。もう出社できる状況ではありませんでした。
一ヵ月半の間はなかなかめまいがとれず苦労しましたが、ようやくめまいもとれ、5月より復職しました。部署は以前と変わり現場事務ではなく、支社内の庶務の仕事をやることになりましたが、ここで私の「うつ」に対する認識不足が露呈しました。このわずかの休職で完全に身体は復調していると思っていたのです。もちろん投薬は受けつづけ、通院もしてはいました。そして庶務の仕事をやる中で、自分も復調しているとの勘違い、そして私の心の未熟さ、また庶務の上司の指示不徹底さなどから、お互いのボタンの掛け違いが段々表面化してきました。最後は業務の進め方で庶務の上司と口論にまでなってしまいました。それも一方的に私がまくし立てた状況、今冷静に考えると何とバカなことをしてしまったか、と思える行動でした。しかし、もう人間関係は元には戻りません。自分で自分を追い込み、そしてどうやっていけばいいのかわからない状況となってしまいました。平成17年2月のことです。進退窮まって医師に相談すると「再度会社を休み、気持ちの整理をした方がいい」とのことでした。それを会社に納得させるのには半日が必要でしたが、再度の休暇でようやく私は「真の心の休養」を取ることができたのです。
この「心の休養」で私が悟った「うつ病」に対する対処法は、
① 自分の能力を見極め、仕事は決して自分の能力以上のことはしない。そしてそれをきちんと会社(上司)に伝えること
② 自分自身が自信を取り戻すまでは、決して無理はしない。そのためには、自分が「うつ病」であることを周囲に明かし協力を求めることも考えてみること
③ 元の状態に戻るまでには時間がかかる。それまでは自分が会社でどんな位置(立場や仕事の内容)にいようとも、割り切って受け入れる(今までの自分なら出来たというプライドは捨てる)
④ 社内で人間関係が上手くいかなかった場合、極力その人との交わりを避けること
今の厳しい時代、会社も人も余裕のない世界で生きています。特に私の勤務先の場合はそうです。社員が不足しているのは明らかです。それに目を向けようとしない、それでいて「仕事の効率化」ばかりを叫ぶ所属部署幹部等々。このような会社内で勤務するためにはかなりの精神力を必要とします。それだけの精神力が持てない場合は、自分からいろんなことを放棄することも必要だと思います。「うつ病」になっては遅いと思います。早くシグナルを出すべきです。しかし、会社で働いている場合は当然能力主義で賃金が決まりますから賃金も下がります。それを受け入れられるか否か、要は自分自身で今の状況と過去の実績や経験を比較し「病気の今の自分には無理だ」と割り切れるかどうかが大きなカギだと思います。これは私が約2年かかってようやくたどり着いた自分自身の結論ですが、この考え方が同じことで悩んでいる方々全員に適しているとは思いません。人間顔が違うように考え方も皆違いますから…
(平成17年5月 記)
会社に復帰しまもなく1年になりますが、その間は決して平坦な道ではありませんでした。再度の異動で私の直属上司となったBは私を会社のお荷物を考えており、さすがに私には直接言わないものの、その態度等にははっきり表れていました。直属上司とは言いながら、Bが私に直接指揮命令を下すことが少なかったことがまだ恵まれていたと思います。とは言え特にB子飼いの部下に電話で「あいつ(私のこと)はこの会社ではもう先はない」ということを言っていたのを聞いた時は、焦らずとも何とか回復したいと思っていた自分がバカらしく思え、次第に自分を見失ってしまいました。その後も何とか出社していましたが、気持ちの整理がどうしてもつかなくなり復帰して7ヶ月後の昨年11月、Bとの関係も含め全てを現在の部長に打ち明け、状況を理解してくれた部長はBと私が直接交わることがないように配慮をした業務分担にするようBに命じ変更させました。Bはそれをどのように思ったかはわかりませんが、それはどうでもいいことです。とにかくBとは言葉も交わせないほどの外傷体験が残ったままです。これを克服する手立ては心理士にも聞きましたが、状況が好転しない限り、要は当事者のどちらかがその場を去らない限りどうにもならないとのことでした。とにかく今はBが早く東京に戻ることを祈るだけです。
(平成18年2月 記)
来月からは自分の新たな可能性を目指し、ビジネススクールに通うようにした。新たな方々との交流が始まることに正直言って不安はあるが、病気からの脱出のきっかけが掴めればと思っている。
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